Project2004は、Project2002のハズだった
- または、私と、PCとのかかわりについてのちょっとしたご紹介 -
ストレージオーディオプレーヤー Project2004は、一般的なHTPC(Home Theatre Personal
Computer)の枠を超え、Personal Computerを、オーディオ機器として評価できるレベルに
高めたものです。
ただし、映像に特化したものではなく、現時点で一部のモデルを除き、DVIを搭載していません。
プロフェッショナル スタジオでしか見ないような、高価なオーディオカードや、高級オーディオ機器
にしか類を見ない、総アルミニウムケースを採用しました。この製作過程で、長期間に及ぶ沢山の
モニター参加者の意見反映などの経緯を経て、出来上がった製品です。
そうなのです。始めた時、まさか2年もかかるとは、
思ってもいませんでした。
大体、はじめからこんなに苦労するとわかっていたら、始めませんでした。
時間が掛かった大きな原因として、下記の3つが挙げられます。
1) ファンレスを追求するのに、ものすごく手間取った
2) すさまじいケース内部のノイズとの戦い
3) 電源事故
また、音質を高める改善として、下記の6つがありました。
1) 銅箔テープは使えない。使っていいものは、肉厚の純アルミテープだけ
2) 鉄ネジで締めると、音がきつくなる、ディスクが熱膨張で壊れる
でも、締めないと音が甘くなる−>金メッキ銅ネジの採用
3) ケース内部にフェライトコアがあると、音がひずみっぽくなる
4) Cドライブだけにすると、録音時に音が飛ぶことがある
5) DC電源線をよじっておかないと、ひずみっぽい音になる
6) シールド付の信号線にしないと、ひずみっぽい音になる
ここで、今までの私とPCの関わりをお話しておきましょう。
私は、16年前からDOS/Vと、IBM PCに関わってきました。どのようにDOS/Vや、
IBM PC/ATに古くから関わっていたかについては、下記にまとめてみました。
1) IBM PCマガジンという雑誌のコラムを持っていた
東芝のJ3100ユーザーでしたら、NIFTY Serveや日経MIX上で“May_Wind☆”
というハンドル名の人を覚えているかもしれません。IBM PCマガジンという、
当時東芝のJ3100ユーザーしか読んでいなかった、雑誌をご存知の方は、
私のコラムも覚えておいでかもしれません。
そうです。あのよく言って辛口の、実態は、むちゃくちゃなコラムであなたは腹を
抱えて笑ってくれた人だったかもしれないですね。
2)NIFTY ServeのIBM
PCフォーラムで、DOS/V普及活動をしていた
懐かしいです。トラブルシュートなどで、色々書きましたよね。
これがご縁で、雑誌のコラムになっていったのですが。それはすでにお話しました。
3) ガレージメーカーの設立に一枚かんでいた
私は、IBM PCとのかかわりを持ったのが、ちょうどDOS/Vが出る直前でした。
IBM PCユーザー会という、アヤシイ団体の構成員だった私は、IBM PC/AT
アーキテクチャーに、i386が載った所から、ソフトウェアで日本語を描画すると
いうことに興味を覚えました。
これが実用となる速度になったのが、i486が出てからです。このときにDOS/Vが、
IBM社から、マルチメディア用のDOSとして発表されました。もちろん、色々な経緯で、
そんなことはまやかしに過ぎないことは、コアなIBM PCユーザーグループは、
百も承知。IBM内部のゲリラ志向の人たちとつるむのは、自然の成り行きでした。
メーカーとユーザーグループの幸せなランデブーという、奇跡と、IBM/Microsoft
が喧嘩を始める前の一瞬の間隙、Intelの強力なi80486プロセッサーの発表。
まさに、あの色々積み重なった奇跡が、今のDOS/Vを生んだのです。
まぁ、その功績をマイクロソフトがWindows95でさらっていくなどとは、当時思っても
見ませんでしたが・・・。
その当時から、私は、日本にもDELLやCOMPAQの様なガレージ出身のメーカー
が欲しいと思っていたのです。IBMとか、富士通とかではなく、ガレージ出身のメーカー。
そんな身近な巨人がいてもいいじゃないか。そんなこんなで、ガレージメーカーの設立
に絡んだこともありました。
4) 自宅に私設のラボラトリーを持っていた
それに飽き足らず、家にトークンリングLANと、イーサーネットLANを引き、
DOS/VマシンとUNIXマシンで何が出来るのか、さらに、Fido Netというインター
ネットの前身のような、全世界を結ぶ掲示板システムのノードになったりして、一日
の大半を研究に没頭していきました。
そういうことをやっていたから、当然、時間もお金もありませんでした。
まぁ、独り者だったから出来たのですね。
本当のことを言えば、実は、失恋の反動だったのです。
もう、時効ですよね。
この頃のことは、下記でご覧になれます。
http://www.windlab.net/pasokon.html
****************
この後で、私はインターネット上の音楽配信のシステム構築をやりました。残念ながら、
その音楽配信自体は、うまく行きませんでしたがとても勉強になりました。
また、もともとハードウェアが大好きだった私は、HTPC、静音PCの登場もワクワクしながら、
静観していました。なぜ、静観していたのか、なんか違うと感じていたのです。
それは、私のオーディオに対する思い入れが原因でした。「チープな雑音で、オーディオが
できるわけがない。あの程度の回路でオーディオなんてチャンチャラおかしい。」
そう思い込んでいたのです。
この間は、私が自分自身にピュア・オーディオを復活させている時期にあたります。
そして、そこに親しい友人たちからの要望が降って湧いたのです。